2009年06月15日

醸造するには、まず葡萄を収穫しなければならない

醸造するには、まず葡萄を収穫しなければならない。葡萄の収穫は糖度が14?26度程度になったところで、鋏または機械で行う。収穫時期をいつにするかということもまたワインの味を決める重要な要素で、単純に糖度が高いだけでは酸とのバランスが悪い物になる。この際に病気のもの(腐敗果)・生育が悪いものは(必要以上に酸をもたらすため)取り除く。この過程を選果という。
伝統的なワインの製造(発酵)方法は、ブドウの芯を取り除き(除梗)、実の皮を破る(破砕)。スペイン、イタリアの農村では収穫期には伝統的に村人総出で、素足で体重を掛けて搾汁する光景が見られる[3]。最近のワイン工場ではステンレス製の除梗破砕機を使用し搾汁する[4] 。この次に赤ワインでは果皮や果肉の混ざったままの果汁を発酵させ、白ワインでは圧搾機にかけて果汁を搾り出した(搾汁)後、果皮や果肉は捨てて発酵させるが、一部の白ワインではスキンコンタクト法と言い「破砕した果実と果汁を1?24時間接触させた後に搾汁する」方法も取られる。ロゼには様々な製法がある。多くのワイン専用品種では収穫した果実重量の55?65%程度の果汁が得られ、大粒生食用品種の巨峰等では80?85%程度の果汁を得る。渋みとなるタンニンは皮或いは種子に由来し、種子のタンニンはアルコールによって溶出する。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

主発酵(一次発酵) [編集]
発酵させるに当たり、ブドウの果実には天然の酵母(野生酵母)が取り付いており、果汁が外に出ることで自然にアルコール発酵が始まる。伝統的な製法では酵母には手を加えない自然発酵が主流であったが、現在では、安定した発酵をさせるため、特別に培養した酵母を使用した酒母を添加し、それ以外の菌を作用させない方法がとられる。その後、場合によっては糖(果糖ぶどう糖など)が添加される。この後、赤なら約20?30℃、白なら15?18℃に保ち、数日から数十日かけて発酵させたのち(これを「主発酵」と呼ぶ)、圧搾によって液体成分を搾り出す。目的の発酵度合い(糖の残り具合)になった所で、発酵を停止させることもある。 アルコール発酵中に発生する炭酸ガスにより一緒に仕込んだ果皮や種が浮き上がり、好気的な微生物の作用を受けやすくなるため、ピジャージあるいは撹拌や循環により固形分が常に液体に浸った状態を維持する。
酵母による発酵の成果として十分に発酵した場合、糖度計による計測糖度の約1/2の値のアルコールと二酸化炭素(炭酸ガス)が生成される。目的の発酵度合いになったところで、液体と固形分を分離する。このとき圧力をかけずに自然と流れ出た液体が「フリーランワイン」で、残った固形分を圧縮し搾った液体が「プレスワイン」である。「フリーラン」「プレス」は混合されるが、一部では別々に二次発酵から瓶詰めを行い、各々が特徴を持ったワインに仕上がる。酵母によるアルコール発酵にはアルコール濃度の上限があり、およそ20パーセントであると言われている。

2009年05月29日

自然哲学

自然哲学(しぜんてつがく)とは、自然の事象や生起についての知識や考察のことである。しかし同時に人間の本性(英・仏: nature、独: Natur)の分析を含むこともあり、元々は現在一般的に用いる意味での哲学とそれほど差はなかった。自然科学とほぼ同義語として、限定された意味で用いられることの多い「自然哲学」であるが、これは主にルネサンス以降の近代自然科学の確立期から19世紀初頭までの間の諸考察を指すといったほうが良いだろう。

その由来は西洋哲学の起源であるタレスらミレトス学派の「始めの問い」に求めることができ、以後、優れた観察や分析が行われる。また、ストア派、エピクロス派、アカデメイア派において自然哲学(自然学)は哲学の三部門の一つとして扱われるようになった。

中世、アリストテレスの『自然学』的自然観がアルベルトゥス・マグヌスの検証紹介以降にほぼドグマ化したスコラ学の下では、自然哲学は停滞するが、ルネサンス期を経て、ベーコンやデカルトらによって近代科学的方法が確立されると、哲学的諸問題に対する自然哲学の重要性はさらに増した。一方で、それは自然哲学と自然科学とが分離する前触れでもあった。ドイツ観念論における自然哲学は分離しつつあった両者を哲学的原理から統合しようとする試みとして捉えることができる。

生物学において、この時期に盛んであった比較解剖学が、多くこの流れを受けている。ゲーテもこの分野に多くの影響を与えた。彼は植物において花弁や顎がいずれも葉の変形であることを見出し、このような変形を変態と呼んで、生物の構造の発展に重要なものと考えた。さらに後の研究者はこのような観点から、多様な生物の形態にはその基本となる『型』が存在すると考えた。このような考えは例えば相同器官、相似器官といった概念を生み出し、あるいは同一構造の繰り返し構造(体節など)を認めることで動物の体制の理解などを推し進めた。しかしそれは往々にして恣意的な想像を広げることとなり、たとえばサン・ティレールは節足動物の付属肢と脊椎動物の肋骨を相同とする論を述べた。これには実証主義を掲げて比較解剖学を刷新したキュビエが強く反対し、大論争の末にキュビエが勝ったのは有名である。
住まい アロマ 健康食品 セミナー 通信販売 パソコン 交通 インプラント 中国四国 美容 信託 グルメ 興信所 料理 美容整形 成人病 文房具 海外留学 動物園 学習 宿泊施設 豊胸 投資 養毛 設計施工 趣味 成人病 家具 多汗症 食品 ステイ 成人病 ショップ 外国語 旅館 通信教育 北海道東北 脂肪吸引 金融 美容 人探し 癒し 成人病 お祝い 多汗症 不用品 英会話 生活雑貨 楽器教室

他方、キュビエは実証主義にこだわって思想性を失った結果、天変地異説を唱えてラマルクの進化論に反対する等、大局的には大きく見誤ったといえる。むしろ自然哲学の流れの最後尾に属するラマルク(彼は当時から『最後の哲学者』といわれた。これには揶揄の意が込められていた)が内容は誤っていたが進化論を創造した点は重要であると八杉竜一は述べている。

なお、比較解剖学の思想的な流れは19世紀に発生学に受け継がれる。発生学の中で比較発生学という流れが起こり、この分野が比較解剖学が生んだ相同性などの考え方の裏付けを作り始める。同時にこれらの分野が生んだ進化論が表舞台に出ると、比較発生学はそれを裏付けると同時に、それを適用することで系統論を生み出した。その方向の頂点に立つヘッケルはこの視点を徹底化することで全動物群の系統を論じることを可能にしたが、その過程で事実の様々な歪曲を行っている。これが後の世代から批判されることとなったのは、観念論的解剖学がキュビエの餌食になったのの二の舞を演じているように見える。ちなみにヘッケルが生物学の歴史を論じているものの中で、彼は観念論的解剖学を高く評価するとともにキュビエの立場をつまらない、低級なものとこき下ろしている。

2009年04月26日

国王

国王(こくおう、英語:king, ドイツ語:König, フランス語:roi, ノルド語:konng, ラテン語:rex)は、君主の称号(君主号)の一種である。皇帝のような特別に高い地位を有さない、標準的な君主号の訳語として用いられる。特に男性である場合(男王)を指す。

ヨーロッパの君主には皇帝、国王、プリンスの3つの概念がある。元々は各地域ごとに君主の名称があった訳だが、ローマ帝国以降のヨーロッパの秩序においては、皇帝や教皇から王として承認を受けた存在のみが王であり、そのような承認を受けない小君主が総称的にプリンスと呼ばれた。

皇帝が共和制ローマの職名を起源としているのに対し、英語のkingのようなゲルマン系の王の名称は血統を意味するkinから派生しているため、より血統が重視された。皇帝は実力のある者が推戴されることが基本であり、このためローマ帝国、東ローマ帝国ではしばしば実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となり、神聖ローマ帝国では選挙制が維持された。コルシカ島生まれの軍人に過ぎないナポレオン・ボナパルトは皇帝の方が成り易かったと言えるかも知れない。

防犯・ブログ関連くらしのお手伝い情報
マッサージ・老人ホーム関連健康・医学倶楽部総合
バイク・化粧品関連セレクトショッピング全国情報ガイド
家庭教師・楽器教室関連まなび教育サーチ
地域産業・デートスポット関連ツアーサイト
美容整形・プチ整形関連ビューティーコスメリンクサイト
建売・分譲関連ビジネスコーチナビ
占い・離婚相談所関連おしゃれな雑貨COM
成人病・老人ホーム関連健康トレンディ総合
サプリメント・サプリメント関連ショッピングライフ全国情報ガイド

ゲルマン系の王は元々は戦争時に臨時に選ばれるもので、これがゲルマン、スラブ系の選挙王制につながっているが、この場合でも王の血統を引く事が選出の条件となった。またケルト系のタニストリー制でも王の血統を持つ者から選ばれる。近代に入って新たに独立した国々が王制を採用した場合、多くの国では最初から王が存在しないか、既に王家の血統が絶えていることが多かったが、その場合でも自国の貴族から選ぶよりドイツ系の君主の一族を招いて王とすることがしばしばあったのも、王となるのは王の血統を引いた者といった概念があったからである。ヨーロッパではほとんどの場合、王朝交代があっても傍系か女系の血統を引いている。

王位継承法により女性の王位継承を認める場合とそうでない場合がある。フランスやドイツなどサリカ法地域では女性の王位継承を認めない例が多い。近代では女性の王位を認める国が増えている。女性の場合女王(じょおう)という。

2009年04月09日

規制物質法

規制物質法(きせいぶっしつほう、Controlled Substances Act、CSA)は薬物の製造・濫用を規制するため、アメリカ合衆国議会によって1970年包括的医薬品濫用防止及び管理法第 II 編(アメリカ連邦法典第21編第13章)として策定された。特定の薬物の製造、輸入、所有、流通がアメリカ合衆国政府によって規制される法的根拠である。また、国際条約である「麻薬に関する単一条約」の国内実施立法である。

薬物の分類(スケジュールI から スケジュールV)までがある。スケジュールI はあらゆる状況においても使用する事を禁止されている。マリファナや LSD そしてヘロインなどが代表的なものである。

それぞれの薬物が包括する様々な薬物資格と共に5つの分類(スケジュール、Schedule)を、法律は設けた。初期の薬物一覧はアメリカ合衆国議会により策定されてはいるものの、司法省および保健福祉省(これに食品医薬品局も含まれる)の2つの連邦省庁が薬物をどの分類に区分するか決定する。分類の決定は、「乱用の可能性」、「アメリカ合衆国での一般に認められた医学的用途」、および「中毒の可能性」の評価によって行われるよう義務付けられている。

また、司法省は連邦法執行を担当する執行機関であり、また州政府も特定の薬物を規制している。

製薬者や医師会、薬剤協会、薬物乱用に関連する公益団体、州、地方公共団体機関などの薬事関係者による請願、もしくは麻薬取締局(DEA)及び保健福祉省(HHS)により、薬物ないしその他の物質のスケジュールを変更・加減する手続きを着手することが出来る。嘆願が麻薬取締局により受け入れられた場合、局はそれぞれの薬物の調査を開始する。

また、麻薬取締局は法執行機関の研究室や、州、地方公共団体機関ならびに監督官庁から入手した情報、もしくはその他の情報筋による情報に基づき、いつでも薬物調査を開始することが出来る。

麻薬取締局がいったん必要な資料を集めると、麻薬取締局長(DEA Administrator)は司法長官の許可を得て、薬物および他の物質が管理からはずすべきかもしくはされるべきかどうかの勧告と科学的及び医学的評価を、保健福祉省に要求する。この要求は保健福祉省の保健次官補に送られる。次に保健福祉省は 食品医薬品局コミッショナー(Commissioner of the Food and Drug Administration)からの情報、国立薬物乱用研究所からの評価および勧告、折々全米を代表した科学・医学団体からの評価および勧告を請求する。次官補は長官の許可を得て資料を編纂し、薬物ないし他の物質についての医学科学的評価と、薬物を管理すべきかどうかおよびどの分類にすべきかどうかの勧告を麻薬取締局に返送する。

科学的および医学的評価は、科学的および医学的事柄に対して麻薬取締局を拘束する。保健福祉省が物質が管理されない事を推挙するなら、麻薬取締局は物質を管理しない可能性があるといった程度にしか、スケジュールにおける推挙は拘束力がない。

ある情況の下では正規の手続きに沿わず、一時的に政府は薬物のスケジュールを決める可能性がある。例としては国際協定が物質の管理を要求する時である。更に、連邦法典第21編第811条h項は司法長官に「公衆安全に差し迫った危険を回避する為に」一時的に物質をスケジュールIに置く事を許可している。規定が公布されることがある時の前と、1年後期限が失効するの時の前に、30日間の掲示を要する。しかしながら、薬物を恒久的にスケジュールに入れる規則制定が進行中ならば、期間は6ヶ月に延長する可能性がある。いかなる場合においても、これらの手続きがひとたび完了すれば、臨時規定は自動的に失効する。

また、規制物質の取り扱い権限を許可された者の為に、CSAは閉じた配給システムを構築する。 麻薬取締局長により規制物質の取り扱いが認可されたすべての人を登録する事が、このシステムの基礎となっている。 すべての登録された個人および会社は、規制物質の保管への安全管理と同様に、規制物質にかかわるすべての取り扱いに関連する完全で正確な在庫目録および記録を保守するよう義務付けられる。

国際法 [編集]
CSAの主要な目的は国際条約、とりわけ、1971年の「向精神薬に関する条約」と1961年の「麻薬に関する単一条約」に基づき「合衆国がその全義務を果たせるようにする」ことであると、連邦法典第21編第801条7項, 連邦法典第21編第801条a項(2), 及び連邦法典第21編第801条a項(3)に議会の所見として記載されている。CSAはこれらの条約と多くの類似を持つ。公衆衛生を管理する当局による科学的及び医学的な拘束力のある調査結果に従い数個のスケジュールで規制物質を分類するシステムを、CSAと条約のいずれもが立案している。 合衆国ではCSAの連邦法典第21編第801条に基づき、その当局は保健社会福祉省となっている。国連では、「向精神薬に関する条約」と「麻薬に関する単一条約」に基づき、その当局は世界保健機関となっている。

連邦法典第21編第811条d項は、条約義務への自動的な準拠を規定している。かつ、同項は国際的な薬物統制規定が改正された時、科学的及び医学的な問題に関する保健福祉省所見と調和するように、仕組み作りを確立している。ある物質の統制が「麻薬に関する単一条約」により命ぜられた場合、司法長官は保健福祉長官の調査結果または一般の分類手続きを考慮せずに「当該義務を履行するのが最も適合すると判断したスケジュール下で、当該薬物の管理命令を出す」ように義務付けられている。しかしながら、保健福祉長官は、「麻薬に関する単一条約」下でのいかなる薬物のスケジュール提議においても、全面で大きな影響力を持っている。なぜなら、連邦法典第21編第801条d項(2)(B)は保健福祉長官に、「提議を評価し、提議に関連する協議および交渉において合衆国の代表に拘束力を持つ勧告を国務長官へ提供する」権限を要求しているからである。

同様に、国連麻薬委員会がある物質を「向精神薬に関する条約」で定める特定の付表へ改正もしくは加えた場合、現在の合衆国における薬物に関する取締りでは条約の要求を満たさなくなり、保健福祉長官は物質がCSAの基でどの程度のスケジュールにしなければならないかの勧告を出さなければならない。


薬物スケジュール [編集]
以下のリストは例示である。完全なデータはDEA Drug Scheduling Referenceを参照せよ。
アメリカ連邦法典第21編第812条b項は、政府が薬物をあるスケジュールに分類する為に行わなければならない調査結果を規定している。

タバコ、ビール、ワイン及びアルコール類は明示的にCSAから免除されている。

イルカ カッション イナリー ヒンズー ケミカル ヤブラン おりあお パララ アリーナ テリア キンバ マキャベ フードル ハイファイ マイル けんち バルジ ビリティ ビスケ ボール オセロッ ロス ストップ マリン ローエン ランタナ ギブアウ キドニー コーヒー ヒヤシ ファクタ ジュレハ ショベルカ ライフ リック ドレス シーエム ガヤツリ レーン ケション ナラタ プレイ デパオク グロテ ハジャイ トリック シロシ ドット リナッ フィア

2009年03月25日

夢と野望の市松人形

表紙のゆきは着物姿(エンターブレイン版)。巻頭に厚紙切り取り・組み立て式の「いちまドールハウスセット」が4枚分おまけで付いている。(偕成社、エンターブレイン共通)
ストアッ ソードフ こりー テレホブ ヘンジ ガーべジ ミュータント アシッド ゲリコ チェスト キャリア オープン モンゴ ストリー ビッチ シェイク モック マジャ クリアス テネリ ロム ジュエル ルブリク リムジン エナメルレ ダルフ ファウ ライト デスク ロック カクテル セシウム リカステ キンレン モンキ 花の坊 ワイン ウィキ ミゼット サイコ ステージ 黒船 ゲルマ オメガ ハリウッド ソーラー ケイン セレナイト テーラー フロップ

「振袖いちまの友情」
ゆき(高一)の曾祖母の形見の市松人形が物置から発見された。母は嫁入り当時怖くて封印してしまったのだ。母はゆきにこれを押し付けるように与えるが、不承不承ながらも部屋に飾った人形に名を問うと「いちま」と答えた。なんと会話できる人形だった。ゆきに手伝ってもらって曾祖母(いちまは「お友達」と呼ぶ。)に線香をあげた後、小川の土手へ連れて行ってもらうと、そこでなんと、人形は等身大の振袖姿の美少女に変身してしまった。お友達の叶えられなかった夢を叶えるための旅に出ると、暇乞いを告げて立ち去る少女を、そのかっこうでは目立つからとゆきは家に引き戻し、彼女のために服を作ってあげるのだった。(そのわりに、いちまは2話目からも同じ振袖を着続けている。)そのままなしくずしに、いちまはゆきの家にいつくことになる。
「振袖いちまの野望」
いちまの「お友達」の夢は人形を作って皆に上げることだったといちまが言う。それをゆきに「がんばるの」とやんわり強制する。材料代でお小遣いが無くなった挙句、1ヶ月間の不眠不休の作業で人形がそろい、自宅の庭でぬいぐるみマーケットを開くことができた。これ以来いちまは曾祖母を「前のお友達」と呼ぶことがあり、どうやらゆきも「お友達」に昇格したようである。しかし、「(前の)お友達」の夢はまだ他にたくさんあったのだ。ゆきの苦難の日々がはじまる。
マーケットのドサクサで着せ替えられ、いちまの着物がなくなってしまう。第3巻「振袖いちまの着物」でやっと取り返すことが出来る。
「振袖いちまの要求」
今度はミルクホールをやるのが「お友達」の夢だった言ういちま。いちまが思い出話を始めると悪い予感し始めるようになるゆきだった。ゆきは不承不承屋台のミルクホール作りの労働に精を出す。ところがゆきが、喜んでないことに不満をもついちまは号泣する。いちまは、喜びもゆきにともにしてほしかったのだ。いちまがゆきに完全にあまえていることが解かってくる。
「振袖いちまの挑戦」
ゆきの父方の祖父が、ゆきの家にとまりに来る。即ち「お友達」の息子であり、腕白坊主が日本人形など見れば虐待すると相場が決まっている。いちまも、かつてこの「おぼっちゃん」に悪行の限りを尽くされた最も恐ろしい、そして憎むべき不倶戴天の敵である。いちまが原型を留めているのも「お友達」が守ってくれたからに他ならない。いちまは天敵に怯えながらも戦いを挑む。
「振袖いちまの内緒」
ゆきの誕生日にあわせていちまとゆきの二人で童話を作ると、いちまに宣言されてしまった。しかし、二人の共同作業はギクシャクして、ついにいちまは家出してしまう。実はいちまは、「ゆきさん誕生日おめでとう」という短文を書くため何日も練習していたのだ。(いちまは字が下手。)
「振袖いちまの義妹」
いちまの妹人形を作ろうという物騒な話が持ち上がってきたときに、ゆきの父方の祖母登場。即ち前記祖父の妻。このおばあちゃんはどちらかというとかつていちまを祖父から守ってくれた恩人でもあり、今回もいちまの着物用に端切れを大量に持ってきてくれた。それでも、いちまは祟ろうと固執するが、失敗。おばあちゃんはひたすらいちまに良くしてくれる。結局、出来た妹は「にま」と名付けられいちまの提案で祖母にプレゼントされる。このとき、髪型からいちまの正体を見破られてしまう。
「振袖いちまの舞踏」
ダンスホールとドレスを作ってほしいというのが今回のいちまの要求。ドレスは作れるが、ダンスホールなど出来っこないので、例によって庭をビヤホール風にしたてて何とかごまかす。いちまの感想は「ゆきさんって…踊りどヘタ」。

第2巻「愛と気合の市松人形」(偕成社版のみ副題付き) [編集]
表紙のゆきはモダンガール姿(エンターブレイン版)。巻頭に「はじめてのおこずかい」と題した、絵本風漫画がオールカラーで4ページ載っている。(偕成社、エンターブレイン共通)

「振袖いちまの没収」
学校で勉強したいとごねるいちま(当然お友達のゆめにかこつけて)。ゆきは一計を案じ、おとなしくしていないと没収されてギッタギタにされてしまうと、いちまを脅しおとなしくさせることに成功するが、ロッカーの上のいちまが発見されてしまった。「没収しますよ」と先生の手が伸びる。いちまの運命やいかに。
「振袖いちまの場所」
「お友達」の命日と欺いて全財産で大量の花をゆきに買わせたいちま。ゆきは怒り心頭に発していたが、じつはこれは、お花やさんをしたいという「お友達」の夢を実現するための計略だったのだ。いちまもしだいに作戦を用いるようになってきている。花屋さんでバイトしたりもする。
この話ではめずらしく、「お友達」が年をとってきてからの話とか、ゆきの死後の話とか、時間経過を物語る話が挿入される。「時は流れる いちまは残る」という感傷的な言葉も添えられている。ゆきが「前のお友達」になってしまう日も来てしまうだろう(いちまが壊れない限り)。
「振袖いちまの鼻歌」
「お友達」の思い出の曲を、バイオリンで弾くよういちまがゆきに、例によってやんわり強要する。そのとき祖父がぎっくり腰になって手伝いに来て欲しいと連絡が入り、いちまも無理やり付いて行く(人間形態で)。おじいちゃんといちまの壮絶なリターンマッチが、バイオリンを介して始まる。
「振袖いちまの奉公」
いちまが突然人間形態になれなくなった、これは天国の「お友達」が「もういいですよ」と言ってくれてるからだと嘆く。ゆきは労苦から開放されたと安心するが、実はこれは文化祭にいちまが乱入し、主役のシンデレラを演ずるための役作り兼ゆきを油断させるためのものだった。ゆきのクラスの出し物「シンデレラ」は、人間形態のいちまに完全に乗っ取られ、引っ掻き回されてしまった。
「振袖いちまの純愛」
いちまに恋をした中学生が出てきた(トモヲくん)。いちまは「お友達」の大恋愛をしたいという夢を叶えるため彼とデートする。もともと非常識ないちまが、デートなどというデリケートな行為が出来るわけも無く、ゆきの監視付きでもデートは目茶目茶になってしまう。それでもトモヲくんは諦めない。
「振袖いちまの看護」
ゆきが風邪で高熱を出して寝込んでしまう。両親は旅行(本来一家で出かける予定だった)。ゆきを看病できるのはいちまのみという恐るべき事態。いちまは看病はおろか病気すら知らない(人形だから)。悪意は無いが、殺人的な看病が始まった。ゆきは生き残ることができるのか?

第3巻(副題無し) [編集]
表紙のゆきは現代の女子高制服姿(エンターブレイン版)。

「振袖いちまの一葉」
ゆきの2人の親友のうち、カチューシャをした方が引越しでいなくなってしまう。3人で初めて撮った写真という話題から、いちまは「お友達」とご主人の記念写真の話をしだし、3人の記念写真はいちまが撮ってあげようという、例に無く安全な流れになってきた。撮影会は始まったが、いちまの注文が多くて難航する。雨は降る。実は、これは純粋にゆきたちのためにいちまが提案したものだったのだ(だから雨が降った)。最終的に撮影は順調に進んだ。しかし出来上がった写真には驚くべき事態が。
「振袖いちまの避暑」
夏休み後半三つ編の親友といっしょに、カチューシャの親友の所へ遊びにいけるかと盛り上がっていたら、いちまのごり押しでゆきは海水浴に行くことになった。ところが、いちまに荷物番をしてもらったら全部流されてしまい、有り金・着替えを失い呆然とするゆき。そんなゆきにナンパの手が迫る。
この話で、人間形態のいちまの比重がゼロに近いことが解かる(つまり水面上に全身が出る)。
「振袖いちまの冒険」
親戚の小学校一年生の男の子、こうた君を一週間あずかることになった。彼はテレビゲームに夢中で、いちまがいくら気を引こうとしても見向きもしない。しかし、彼からゲーム機をとりあげたいちまは、今度は自分がゲームに没頭してしまうのだった。
「振袖いちまの番外」
異色の番外編。時は大正の頃(たぶん)。人形師が市松人形の顔が決まらず悩んでいた。散歩しているとやってきた渡し舟の少女がイメージにピッタリだった。こうして作られたのがいちまということらしい。人形師はゆきの祖父、少女はいちまを幼くした感じ、少女の下女はゆきにそれぞれ似せてある。
「振袖いちまの記憶」
ゆきの父がまともに登場する唯一の話。いちま手作りのペパーミントアイスを、おとうさんに食べてもらう話。父は壮絶な味のアイスを笑顔で平らげる。いちまは、これで祖父とちがって父は味方だと思い込む。
「振袖いちまの着物」
第1巻「振袖いちまの野望」で失くした「お友達」手製の着物が隣家に有ることが解かった。ところが、隣のおじいさんはどういうわけかゆきに冷たい態度をとる。着物は当然取り返せない。いちまは強硬手段に出る。
「振袖いちまの大祭」(最終回)
この話のみ単行本用の描き下ろしである。
物置からひいおばあちゃんの形見の人形がもうい1体見つかった。いちまが増えるのかと戦慄するゆきであったが、その内裏雛は普通の人形だった。お雛様のような十二単衣(じゅうにひとえ)を着たがるいちまに、いつものようにごりおしされ作業を始めるゆき。ゆきの作業中、いちまは走り回り、今までゆきが作ってくれた物を一堂に集め、雛壇の上に並べる。こうしていちまの晴れ舞台が出来上がった。ゆきはいちまと並んだ内裏雛に「初めまして わたしがいちまの友達です」と挨拶するのだった。

2009年03月10日

早食い・大食い

早食い(はやぐい)とは、食料や料理をともかく早く食べる行為である。また大食い(おおぐい)/大食(たいしょく)とは、大量に食べる行為である。共に、健康にとって悪い影響を与え、マナーに反する食べ方だといわれている。

早食いや大食いは、催しとして行われているものや、競技(スポーツ)とみなすものがある。また、最近は、娯楽番組の見せ物としてテレビで放送されることがあるが、「娯楽番組だからいい」という人が居る一方、往々にして食べ方が見苦しく批判される要素を含む。また大食では肥満や心筋梗塞、肺がん等の病気との関係性から、批判も見られる。

早食いは、特に忙しいサラリーマン等に多く見られる物で、以下の特徴がある。

あまり噛まないで飲み込む
味はお構いなし
大抵は大食いでもある
水を大量に飲む。
長男が多い
古くは武士、そして旧日本軍の習慣が戦後、ビジネスマン、公務員、医師、看護師に受け継がれたものである。軍隊等では短時間で食事を終わらせることも合理性があるが、ビジネスマン等においてはあまり合理性がない上、近年では胃腸に負担が掛かり、消化器疾患を患う原因ともされているため、そのような食べ方が改められるよう求められる傾向が存在する。しかし相変わらず忙しさのために食事の時間を削らざるを得ず、早食いに徹する。

その一方、フランス語で大食を意味するグルマン( Gourmand )は美食家の意味を内包する。早食いではない大食の者では、しばしば味や風味を重視する者もおり、こちらは食通(グルメ)に通じる(→食通)。ただし日本語の範疇として「早食い」や「大食」といった要素が前面に出る場合は、風味が二の次である傾向は否定できない。風味を重視する場合は美食家の範疇で扱われる。

定義等
早食いの場合、満腹感を得るための消化・吸収と血糖値の上昇が間に合わず、多くの場合において満腹感を得た時点で大食いとなっている場合が多い事から、早食いは大食いと同義とされることがある。

これは、食事が人生における娯楽の大きな部分を占めるものであるにも拘らず、満腹になってしまえばどんな美食であろうとも中断せざるを得ないということにも絡んでいると思われる。特に古今東西の美食家は、時に優れた消化促進剤を財に物を言わせて求めたり[要出典]、人によっては食べた傍から吐き戻して更に食べるなどの涙ぐましく、そして食に対する冒涜とも受け取られかねない行為を行っている。

やせの大食い
大量に食を摂取しても太らない体質の人を指す言葉である。原因は大きく二つある。一つは胃の形状である。胃が腸へと垂れ下がった形状をしている場合(胃下垂)、食べ物は胃に長くは留まらずに腸へと流れていく。もう一つは体温維持を図る褐色脂肪細胞を多く持っている場合である。これが活発な場合、摂取した余分なエネルギーは熱として放出される。栄養の吸収が良くない事が原因の一つとも考えられる。

なお、マウス実験の段階ではあるが、大阪大学大学院医学系研究科の下村伊一郎教授の研究によると(2004年10月の報告、アメリカの雑誌ネーチャー・メディスンに掲載)、脂肪組織内にある酵素PTENを減らすことでやせの大食い体質になることがわかっている。ただ2005年05月19日、上記の下村教授の論文は捏造であるとの報道がなされており、米医学誌「ネイチャー・メディシン」に論文の取り下げを申し入れたということである。いくら食べても太らないマウスは幻となった。

その一方で、いわゆる寄生虫が体内にいると栄養吸収が阻害され、痩せるという俗説がある。ことサナダムシの特に人体に及ぼす影響の少ない種類のものを意図的に入れている有名人(モデルなど)もいるという噂ないし民間療法もまことしやかに語られるが、効果の程は定かではない。寄生虫に絡んでは衛生仮説のような仮説もあるが、こと近代以降で社会全体の衛生が著しく発達した現代社会では、寄生虫の宿主になる機会も減少(→糞)、「痩せの大食い=寄生虫の宿主」説は俗説の域を出ないのが実情である。サナダムシなど寄生虫の研究でも知られる藤田紘一郎元東京医科歯科大学教授は当初「サナダムシダイエット」を著書中で言及したが、近年の著書ではダイエットについて触れていないという。

功罪
常識の範疇で「よく食べること」は「よく働くこと」と同じく良いこととされている。食欲旺盛な様子に対する肯定的な表現としては、健啖(けんたん)という言葉がある。

もっともこれらは常識の範疇にある場合で、常識を逸脱した早食い・大食いは非難される。特に食事のマナーによる所が大きく、食べ方に見苦しい点がある場合は、特に嫌われる要因となりやすい。早くたくさん食べるために、パンを牛乳につけて食べるのは気持ち悪い。最近は食に関する関心が高まったこともあり、食べ物を粗末にするなという指摘もある。

イベント・競技等
古くから、食に対する渇望から、腹一杯食べたいという欲求も根強く、それこそ無理矢理に腹一杯になるという催し物や競技は多い。日本ではわんこそば(岩手県)が良く知られているが、その他にも特大のメニュー(デカ盛り)を出す店や、特大のメニューを指定時間内で食べ終えたら代金は無料(その代わり食べ残したら実費を支払わなければならない)という飲食店の特別メニュー(チャレンジメニュー と呼ばれることが多い)や、テレビの特番物、地方町興しイベントとしての早食い競争は多い。特に近年にあっては食糧生産技術の向上により、食品が豊富にあることも、これら競技が成立する理由に挙げられる。

その一方で、飲食店においては大量の残飯(食品残渣)を生む可能性があることや、催し物に関しては早食いが元で喉に食べ物を詰まらせ窒息死する事件が起こる場合があったり、特にテレビ放送されるものについては、安全性などの観点からPTAや一般視聴者などから批判の声が多いため、これらを見合わせる動きもある。実際に2002年1月、愛知県の中学生が給食中にパンの早食い競争をし、喉に詰まらせて死亡する事故が起き、TBSやテレビ東京など当時早食い競争の番組を制作していたキー局は大食い・早食い競技を題材とした番組制作を取り止めていた。3年後の2005年4月に、テレビ東京が「元祖!大食い王決定戦」としてテレビでの大食い競技番組を復活させたが、依然としてこれらの番組に対する批判は根強い。

競技
早食い・大食いを競技として捉えた場合、一般的な定義(上記参照のこと)とはやや状況が異なり、

早食い競技 - 競技中に満腹を感じないほどの短時間(通常は数分間)で競う
大食い競技 - 競技中に満腹を感じるだけの余裕がある長時間(通常30分?60分間程度)で競う
としており、早食いと大食いを別物とみなす場合が多い。

土山しげるの漫画『喰いしん坊!』においても、おおむね

早食い - 一定量の料理をごく短時間(目安として約30分以内)で完食する
大食い - ある程度時間(30分?60分程度)をかけ、その時間内にどれだけの量を食べられるかを競う
としており、「早食い=陸上の短距離走」「大食い=長距離走」というたとえで説明している。
アビランド ケイソ グズア 月の宿 トラム 太鼓判 バロイ ガリウム ジョーカー スーパー プチブ ダムウェ フット チルドレン シーズン ポインセ キッチン メンチ ナラティブ 河童大王 アービト キャリア カララー ダブルシン ガッツ カフス ビジョン デバイ マスゲ シェード ナル 華麗 プロジェト スタート スタンド ハノー リアリ スヌーピ アオザイ フォトメ ビンバ シネコン スローガン ライン センナ ハイマツ アコード フォカマイ スコア ケブキ

特に早食い競技においては、非常に短い時間内で多くの食物を摂取しようとするあまり、喉に食物を詰まらせて呼吸困難に陥るなどの事故が起こる可能性が高いことから、素人向けの競技会においては近年早食い競技を回避する傾向が見られる。またかつて「日本大食い協会」(現在は消滅)会長だった岸義行は、「早食い競技と違い、大食い競技ではこのような死に至るような事故の起こる危険性は非常に低い」として「健全な大食い」という概念を主張していた。ただこれに対しては、小林尊が「水中毒に代表されるように、大量の食物や水分の摂取により体に異常をきたす場合もあり、そもそも『安全な大食い』というものは存在しない」と反論している。実際に、塩や水など生物の生存において基本的な物質の大食いで死亡した例があり、度を逸することに対する危険性が存在する。

一方で早食い競技を得意とする競技者(俗に「フードファイター」とも呼ばれる)の一部には、早食い競技をスポーツとして確立しようとする動きがある。日本では前記のテレビ番組中断のあおりを受けて現在その動きは停滞気味であるが、アメリカでは国際大食い競技連盟(IFOCE)という団体が存在し、『ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権』を始めとする数多くの早食い・大食い大会を主催しているほか、フードファイターの世界ランキングを定めている。近年アメリカのスポーツ専門テレビチャンネルであるESPNが『ネイサンズ?』の模様を生中継するなど、アメリカでは徐々に早食い競技がスポーツとして認知されつつある。

また、別の観点では、このような競技に食料を費やすぐらいならば食糧難の貧困国に対して積極的に食料を寄付するべきではないかとする意見もテレビ番組への批判中などに見出せ、「生理的欲求の必要以上に消費すること」への批判も存在する。

2009年02月22日

二十四節気(にじゅうしせっき)

二十四節気(にじゅうしせっき)は、1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。二十四気(にじゅうしき)ともいう。太陰太陽暦において月名を決定し、季節とのずれを調整するための指標として使われる。分割点には12の節気と12の中気が交互に配され、各月の朔日(1日)が対応する節気前後になるように月名を決める。実際には月中に次の中気が含まれるように決める。例えば雨水が含まれる月を「正月」と決めると元旦の前後半月以内に立春があることになる。中気が含まれない月が現れた場合には閏月が設けられる。ただし、定気法においては例外の処理が必要となる。特に重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を併せて二至二分といい、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立、二至二分と四立を併せて八節という。
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

また1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間を表すものとして使われることがある。この場合、二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた、七十二候という分類があり、各気各候に応じた自然の特徴が記述された。日本では暦注など生活暦において使われている。

二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の一つで、1年を12の「中気」と12の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。なお、日本では、江戸時代の頃に用いられた暦から採用されたが、元々二十四節気は、中国の気候を元に名づけられたもので、日本の気候とは合わない名称や時期もある。そのため、それを補足するために二十四節気のほかに土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたのが、日本の旧暦となっている。

月の運行のみに基づいた純粋太陰暦による日付は太陽の位置と無関係であるため、暦と四季の周期との間にずれが生じて農耕等に不便である。そこで古代中国では、本来の季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に導入され、二十四節気による暦と月の運行による暦とのずれが1か月程度になったときに余分な1か月(閏月)を入れて調節するようになった。

二十四節気は、ある時期に突然に発明されたわけではなく、段階的に整備されてきたものである。二至二分は日時計(ノーモン)によって観察しやすいため古くから認識されていたと考えられ、殷周時代には日の最も短い冬至頃に年始が置かれていた。甲骨文字において月名は1、2、3といった序数で表されていたが、ときおり13月が用いられ、冬至から始まる年と月の運行に基づいた月とを調整していた。よって殷の暦法は太陰太陽暦であったが、高度な計算を用いたものではなく、自然の観察によって適宜ずれを修正するような素朴な暦法であった。なお二至二分の名称は、『尚書』尭典には夏至は「日永」、冬至は「日短」、春分は「日中」、秋分は「宵中」と書かれており、戦国時代末期の『呂氏春秋』では夏至は「日長至」、冬至は「日短至」、春分・秋分は「日夜分」と名付けられている。

二至二分の中間点に位置する四立に関しては『春秋左氏伝』僖公5年の「分至啓閉」という語の「啓」が立春・立夏、「閉」が立秋・立冬と考えられており、『呂氏春秋』において「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の語が使われていることから、戦国時代に一般化したと考えられる。なお古代中国人は1年12ヶ月を春・夏・秋・冬の四時に分け、正月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬とした。周では冬至を基準に年始が置かれていたが、戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする夏正(夏暦)が各国で採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が正月すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで「立春」と名付けられ、他の二至二分四立も春夏秋冬の名が冠せられるようになったと考えられる。

その他の二十四節気の名称は前漢の『淮南子』において出そろっており、それまでの間に名称が固定化したと考えられる。八節をさらに3分割したのは、月と対応させるためである。戦国時代には19太陽年が235朔望月にほぼ等しいとするメトン周期を導入した四分暦が使われており、1太陽年を12分割した中気は19太陽年235朔望月に228存在し、7回ほど閏月を設ければ月と中気が対応してゆくことを導き出した。これにより中気をもとに月名を決定することが可能になり、漢の太初暦以降、中気を含まない月を閏月とする歳中置閏法が取られた。なお当時の天球分割法の一つに十二次があったが、節気は太陽の視位置が各次の境界である初点にある時、中気は各次の中間の中点にある時とされた(『漢書』律暦志)。

分割法
二十四節気は当初、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられた。これを平気法や恒気法または時間分割法という。しかし、地球の軌道は円ではなく楕円であるため、太陽の黄道上での運行速度は一定ではない。そこで、中国では清朝の時憲暦から、日本では天保暦から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにした。これを定気法または空間分割法という。

名称
二十四節気の名称は、発明された当時の物がほぼそのまま使われている。節気名称は実際の気温よりは太陽の高度を反映したものとなっている。日本では独自に雑節が設けられたり、本朝七十二候が作られたりした。

名称の由来を種類別に分けると以下のようになるだろう。

昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の中間点) - 春分・夏至・秋分・冬至
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の始期)- 立春・立夏・立秋・立冬
気温 - 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 - 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 - 啓蟄・清明・小満
農事 - 穀雨・芒種

暦月と節月
太陰太陽暦における1ヶ月は月の運行に基づき朔日から晦日までとする区切り方である。この月を暦月という。各暦月の名称は二十四節気を基準に定められる。暦では正月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬とする。なお暦注において暦月による月の区切り方を月切りという

太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中(中気)、そうでないもの(清明・立夏など)を節(正節、節気)という。節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。日本において占いや年中行事を記す暦注の中で節切りによるものがよく使われ、また季語の分類も主として節切りで行われている。節月では、正月節(立春)から2月節(啓蟄)までが正月、2月節(啓蟄)から3月節(清明)までが2月、3月節(清明)から4月節(立夏)までが3月というようになり、立春から立夏までが春、立夏から立秋までが夏、立秋から立冬までが秋、立冬から立春までが冬というように定められる。

旧暦においては月名は、その月が含む中気によってきまる。従って雨水が正月15日以前にきたときは立春はその15日前なので、立春が前の年ということが起こり、これを「年内立春」という。古今集の「年のうちに春は来にけり、一年を去年とやいはむ、今年とやいはむ」はそのことを歌ったものである。

二十四節気一覧
月は節月、括弧内は太陽黄経と大体の日付である。日付は年によって変動する。


一月 : 立春(315度、2月4日)- 雨水(330度、2月19日)
二月 : 啓蟄(345度、3月6日)- 春分(0度、3月21日)
三月 : 清明(15度、4月5日)- 穀雨(30度、4月20日)

四月 : 立夏(45度、5月6日)- 小満(60度、5月21日)
五月 : 芒種(75度、6月6日)- 夏至(90度、6月21日)
六月 : 小暑(105度、7月7日)- 大暑(120度、7月23日)

七月 : 立秋(135度、8月7日)- 処暑(150度、8月23日)
八月 : 白露(165度、9月8日)- 秋分(180度、9月23日)
九月 : 寒露(195度、10月8日)- 霜降(210度、10月23日)

十月 : 立冬(225度、11月7日)- 小雪(240度、11月22日)
十一月 : 大雪(255度、12月7日)- 冬至(270度、12月22日)
十二月 : 小寒(285度、1月5日)- 大寒(300度、1月20日)
この各月の左側に書いてある方が「節(せつ)」、右側が「中(ちゅう)」であり、中気を含まない月を閏月とする。詳しくは閏月を参照のこと。

2009年02月05日

グリフォンマスク(英語表記:The Griffon)

グリフォンマスク(英語表記:The Griffon)は、SNK(現・SNKプレイモア)の対戦型格闘ゲーム『餓狼 MARK OF THE WOLVES』などに登場する架空の人物。担当声優は花田光。
ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ

日本国外ではTizoc(ティゾック)に名前が変更されている。

鳥類を模した形のマスクの覆面レスラー。デビューして以来無敗を誇り、子供から人気を獲得していたが、突如謎の男に襲撃され敗北を喫する(この「謎の男」の正体については、当時の公式サイトのQ&Aコーナーで服装が中国系のものだと回答されており、牙刀の父であることを推測させる)。そのことをきっかけに彼は特訓を開始し、2年間の特訓から帰ってきた彼はその成果を確かめるべく、格闘大会「キング・オブ・ファイターズ」に出場する。

『餓狼MOW』でのエンディングでは、一度は引退を考えるが足の不自由な子供が自分を目標にリハビリをしている所を目撃し、グリフォンマスクとして子供たちに希望を与え続けることを決意する。

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』(以下『KOF』)シリーズにも『2003』から登場しており、『2003』では餓狼チーム、『XI』では餓狼MOWチームに所属している。また、このシリーズではキム・カッファンと同様に悪人のキャラクターに対しての専用対戦前デモが存在する。

表裏のない性格で、子供の手本になろうとしているためか普段からも毅然とした態度を取る。また話し口調の二人称は「ユー」であることが多い。マスクのせいで「鳥」呼ばわりされるのは我慢がならないらしく、その度に反論する。『KOF』シリーズではジョー・ヒガシから間違った日本語を教えられたり、海賊のB.ジェニーとそうとは知らずチームを組むなど、騙されやすい面を強調されている。KOFへの出場目的は優勝賞金であるが、賞金の使い道は自分のプロレスの試合を子供たちが無料で観戦できるグリフォンシートを作ることや孤児院への寄付とあくまでも子供達のため。

ちなみに2003では最近グレートニンジャ・ミナミなるプロレスラーと対戦して勝利し、弟子にしたらしい。

ゲーム上の特徴
『餓狼MOW』ではSNKの格闘ゲームには珍しくレバー一回転コマンドの必殺技など、『ストリートファイター』シリーズでいうザンギエフに準じた操作性を持つ投げキャラ。それゆえに連続技に向いた技は少なく、その上に強攻撃や上段避け攻撃にキャンセルはかけられず(立ち強パンチのみはガードされた場合にだけキャンセル可能)、ブレーキングもこのキャラクターに限っては連続技を発展させるためには機能しないため、他のキャラクターのようには連続技ができず、肝心のコマンド投げもやや癖の強い部分があり、使いこなすのは難しくなっている。

『KOF』シリーズではレバー一回転のコマンドが変更されるなど扱いにくさが緩和され、さらにシステム上コマンド投げがのけぞりを投げられるため、連続技で大ダメージを与えることもできるようになった。また、『MOW』での上段避け攻撃やT.O.P.アタックが特殊技として採用されている。

使用技一覧
技名にはギリシア神話の神などの名前が含まれたものが大多数を占める。

必殺技
ポセイドンウェーブ
突進しつつラリアットを繰り出す。強はバックステップしてから攻撃する。強のみブレーキングに対応し、その際はバックステップで中断される。
オリンポスオーバー
放物線を描くように跳んでのエルボードロップ。「ポセイドンウェーブ」と同じく強はバックステップしてから攻撃し、ブレーキングを行うとバックステップで中断する。
グリフォール
ダウンした相手に覆い被さるようにボディプレスを仕掛ける。『2003』でのみの「ポセイドンウェーブ」および「オリンポスオーバー」からの追加技で、大元は通常投げの「グリフォンタワー」からの追加技。
ジャスティスハリケーン
コマンド投げ。相手を掴んだまま空中に高く跳び上がり、錐揉み回転しつつ落下して相手を脳天から叩き付ける。『MOW』ではこの技がレバー一回転コマンドである。
イカロスクラッシュ
空中で入力する投げ技。相手を掴むとそのまま空中で一回転し、落ちながらジャーマンスープレックスのように地面に叩き付ける。
ヘラクレスルー
相手を自分の背後の画面端の壁に投げつけ叩き付けるコマンド投げ。叩きつけられた相手は壁から跳ね返り、その間に空中追撃可能な状態になる。
アクティブテュポーン
空中を跳んで接近し、両脚で相手の首を挟み宙返りして相手を地面に叩き付ける移動投げ。

T.O.P.アタック
グリドロスーパーキック
真横に跳んでドロップキックを繰り出す。技の形態はライデン(ビッグ・ベア)の「スーパードロップキック」に似ている。前述のとおり『KOF』では特殊技となっている。

超必殺技・潜在能力
ビッグフォールグリフォン
コマンド投げ。相手を掴むと上空に跳び上がって画面真上(天井)に叩き付け、相手を両脚で踏むように押さえつけて真下に急降下し地面に叩き付ける。潜在能力版(『KOF』シリーズではリーダー超必殺技)は天井に叩きつけた後「ジャスティスハリケーン」の動作を行う。
『MOW』ではレバー2回転コマンドだったが、これも『KOF』シリーズでは変更されている。
ダイダロスアタック
打ち下ろしフックとアッパーから「ポセイドンウェーブ」に連係する打撃技。潜在能力版は打ち下ろしフックとアッパーを3セット繰り返す(『KOF』シリーズでは採用されていない)。『MOW』のみ技中背景が光が線状に流れるものに変わる演出がある。

2009年01月21日

フランシスコ会(ふらんしすこかい)

フランシスコ会(ふらんしすこかい)は、アッシジのフランチェスコによってはじめられたカトリック の修道会の総称で、広義には第1会(男子修道会)、第2会(女子修道会)、第3会(在俗会)を含む。

また、狭義には第1会に当たる3つの会の事で、特にその中の主流派である改革派フランシスコ会のみを指す事もある。この3つの会はいずれも「小さき兄弟会」Ordo Fratrum Minorum (OFM)の名で知られる。聖公会でもフランシスコ会が組織されている。 染色を施さない修道服をまとった。

アッシジはイタリア中部ウンブリア地方の古市。フランチェスコは1206年サン・ダミアーノ教会の十字架から「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい。」との声を聞き、まず教会の修復からはじめる。次第に互いに兄弟と呼ぶ同志が増え、「小さき兄弟の修道会」(Ordo fraterorum minororum)と名乗る。1215年にはキアラ(日本ではクララとして知られる)を中心に第2修道会(女子修道会)がたった。1221年には在俗の「償いの兄弟姉妹の会」(第3会、略称OFS)が承認された。

修道会組織の形成と発展
1210年に「小さき兄弟の修道会」設立についてインノケンティウス3世より承認を受けた。この時の簡単な会則は「原始会則」と呼ばれるが、急速に発展する修道会内部の問題に対処するにはあまりに簡潔に過ぎたため、1221年には会則の改訂が行われた。しかしこの会則は教皇の認可を得ることができなかったため、新たにフゴリノ枢機卿(のちのグレゴリウス9世)などの協力を得て、教会法の規定をよく取り入れた会則を制定し1223年に認可された。

当初のフランシスコ修道会の組織は、終身の総長の下に全会員に対する責任と権限を持つ中央集権的なものであったが、第3代総長エリア・ボンバローネの時代に強権的な彼の修道会運営に反対運動が起こり、1239年の総会議からは各地の管区に大幅な裁量を認める地方分権的な組織体制が取られるようになった。この運動で指導的役割を演じたのが、ファバーシャムのハイモで、のちに第5代総長となった人物であるが、彼はこの地方分権体制をドミニコ会に倣ったという。

修道会の聖職化
設立当初のフランシスコ会は修道士の割合が非常に多く、司祭や神学者などの教導職にある者はほんのわずかであった。しかしフランシスコ会は当初より説教活動を活動の中心に据えており、また当時の異端思想との対決の必要性から神学的知識が必要とされた。教皇庁もドミニコ会とともに異端撲滅への寄与をフランシスコ会に期待しており、ドミニコ会では当初から聖書研究や神学教育が盛んで、フランシスコ会もこの影響を受けた。1239年から第4代総長にあったピサのアルベルトは司祭である初めての総長であった。

ファバーシャムのハイモが総長となると、学問研究にますます力が入れられるようになり、各地の管区で研究機関や学校も徐々に整備されていった。しかし本来的な清貧運動を重視する原理主義的な会員の間からは、このような傾向に対する不満の声も上がり、これら少数派は後述する修道会内の異端運動を起こすようになる。

1235年にパリ大学の教授であったヘールズのアレキサンダーがフランシスコ会に入会し、彼はのちにスコラ哲学の一潮流となるフランシスコ学派の祖となった。彼の下ではトマス・アクィナスとボナヴェントゥラという著名な神学者が学んだが、後者のボナヴェントゥラはプラトン主義に基づいて範型論と照明論を唱え、アリストテレス主義に立脚する前者のトマス学派と二大潮流を築いた[1]。ボナヴェントゥラ以後では、ドゥンス・スコトゥスとオッカムのウィリアムがこの学派の著名な神学者である。
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル

さて13世紀中葉までに歴代教皇の恩顧によって、フランシスコ会は司牧活動における諸々の特典を認められており、それが各地の司教の反発を呼んでいたが、1279年に教皇ニコラウス3世が「エクジイト・クィ・セミナート」でフランシスコ会の司牧特典を擁護すると、これを巡って激しい論争が起こった。これが問題とされたのは、この時期の貨幣経済の進展によって司教たちが秘蹟の授与など司牧活動に収入源を大きく依存するようになったことと、フランシスコ会への特典がすべて教皇の恩顧によるもので、教会法上に規定されたもので無かったことにあった。1300年にボニファティウス8世は教勅「スーペル・カテドラム」を出してこの問題を決着させようとし、聴罪や葬儀に関わる限定的な一部の規定以外の特典を廃止する決定を下した。これに対するフランシスコ会側の反発は大きく、1304年に撤回されたが、クレメンス5世の時代に教会法へ取り入れられた。

修道会内の異端運動、スピリトゥアル主義
1241年ないし1243年にフィオーレの司教が皇帝フリードリヒ2世に圧迫されて、ピサのフランシスコ会修道院に逃れてきたとき、フィオーレのヨアキムの著作を持ち込んだと言われている。ここからヨアキム主義がフランシスコ会修道士の一部に蔓延するようになったらしい。1255年にフランシスコ会士ボルゴ・サン・ドンニーノのゼラルドによってヨアキム主義的な『永遠の福音入門』が出版された。教皇アレクサンデル4世によってヨアキム主義が公式に断罪されると、第6代総長パルマのヨハネはヨアキム主義に好意的であったことから断罪され、ボナヴェントゥラが総長となった。

13世紀後半に北イタリアと、特に南フランスで、このヨアキム主義の影響を受けたフランシスコ会の少数派が清貧の厳格な実践を唱えるようになった。これをスピリトゥアル主義と呼ぶ。北イタリアのスピリトゥアル派は1280年以降フランシスコ会内部で弾圧されたが、のちに許されて教皇ケレスティヌス5世によって「教皇ケレスティヌスの貧しき隠遁者」として分離したものの、ボニファティウス8世により弾劾された。北イタリアのスピリトゥアル派は指導者アンゼロ・クラレーノの名前から「クラレーニ」と呼ばれ、のちにオブセルヴァンテス改革派に合流した。南フランスのスピリトゥアル派はクレメンス5世の好意的な態度によって、他の会員たちとは異なった生活を続けていたが、1317年にヨハネス22世により弾劾されると、フランシスコ会主流派のみならず教会に対しても公然と反抗するようになった。教会とフランシスコ会はこれに監禁や火刑で応え、さらに彼らの修道院を破壊するなど弾圧を加え、反抗は1354年になって終息した。

2009年01月14日

孫子 (書物)

『孫子』(そんし)は、中国春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書である。後に武経七書の一つに数えられている。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つ。

著者と目される孫武は紀元前500年ごろに生きた人で、当時新興国であった呉に仕えその勢力拡大に多いに貢献した人である。そのため前5世紀中頃?前4世紀中頃あたりに著されたと考えられている。ただ、単純に著者を孫武として良いのか、それに付随して『孫子』という書物の成立時期はいつかという基本問題において未だ諸説ある。これについては後述。

『孫子』の成立以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦史研究の結果から、戦争には勝った理由、負けた理由があり得ることを分析した。『孫子』の意義はここにある。

なお孫武の子孫といわれ、斉に仕えた孫臏も兵法書を著しており、かつては『孫子』の著者は孫臏であるとの説もあった。また『漢書』芸文志・兵権謀家類において、孫武のものを『呉孫子兵法』82巻・図9巻、孫臏のものを『斉孫子兵法』89巻・図4巻と記されているとおり、両書はそれぞれ異なる著作ではあると見なされている。ここでは前者について解説する。著者自身については孫武を、孫臏の書については孫臏兵法を参照のこと。

以下の文中で『孫子』と表記するときは書物を、単に孫子と表記するときは孫武その人を指すものとする。


[編集] 『孫子』の篇名
計篇 - 序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について述べる。
作戦篇 - 戦争準備計画について述べる。
謀攻篇 - 実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について述べる。
形篇 - 攻撃と守備それぞれの態勢について述べる。
勢篇 - 上述の態勢から生じる軍勢の勢いについて述べる。
虚実篇 - 戦争においていかに主導性を発揮するかについて述べる。
軍争篇 - 敵軍の機先を如何に制するかについて述べる。
九変篇 - 戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて述べる。
行軍篇 - 軍を進める上での注意事項について述べる。
地形篇 - 地形によって戦術を変更することを説く。
九地篇 - 9種類の地勢について説明し、それに応じた戦術を説く。
火攻篇 - 火攻め戦術について述べる。
用間篇 - 「間」とは間諜を指す。すなわちスパイ。敵情偵察の重要性を説く。
現存する『孫子』は以上の十三篇からなり、底本の違いによって順番やタイトルが異なっている。そのため上の篇名やその順序は近年出土した竹簡にしるされたもの(以下『竹簡孫子』)をベースとし、竹簡において欠落しているものについては『宋本十一家注孫子』によって補った。『竹簡孫子』の方がより原型に近いと考えられるためである。また『竹簡孫子』とそれ以外では、用間篇と火攻篇とが入れ替わっている。


[編集] 『孫子』の思想

全般的特徴
非好戦的
戦争を簡単に起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める。この点について 老子思想との類縁性を指摘する研究もある。「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)
現実主義
緻密な観察眼に基づき、戦争の様々な様相を区別し、それに対応した記述を行う。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」(謀攻篇)
主導権の重視
「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず」(虚実篇)

『孫子』の戦争観
孫子は戦争を極めて深刻なものであると捉えていた。それは「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。良く考えねばならない)と言うように、戦争という一事象の中だけで考察するのではなく、あくまで国家運営と戦争との関係を俯瞰する姿勢から導き出されたものである。それは「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」といったことばからも伺える。

また「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」(多少まずいやり方で短期決戦に出る事はあっても、長期戦に持ち込んで成功した例は知らない)ということばも、戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである(第二次世界大戦における日本軍の戦いが「巧久」の最たる例であろう)。この費用対効果的な発想も国家と戦争の関係から発せられたものであると言えるだろう。

すなわち『孫子』が単なる兵法解説書の地位を脱し、今日まで普遍的な価値を有し続けているのは、目先の戦闘に勝利することに終始せず、こうした国家との関係から戦争を論ずる書の性格によるといえる。

『孫子』の戦略
『孫子』戦略論の特色は、「廟算」の重視にある。廟算とは開戦の前に廟堂(祖先祭祀の御廟)で行われる軍議のことで、「算」とは敵味方の実情分析と比較を指す。では廟算とは敵味方の何を比較するのか。それは、

道 - 為政者と民とが一致団結するような政治や教化のあり方
天 - 天候などの自然
地 - 地形
将 - 戦争指導者の力量
法 - 軍の制度・軍規
の「五事」である。より具体的には以下の「七計」によって判断する。
ただみま まおい プロト 光の子 クロスス マンドゥク パロア 変革生活 ポケット コバンソ レスク 白い花 めんこ シュズ モンス ゼルス リュウ カイヤ ハマヒ フォーク ダイア モダリティ いきこう ジアル セーブル フロー ぴかいち さんめし しぎやき オーバ ナビ本陣 海のミネ ナビ朱鳥 NO1里芋 たきかわ にしめ ゾンデ ミストレス マート キシロース オルゴール ディーラム フライ カスタード ツリー 十三夜 フアラ くまざさ ノット クォーツ

敵味方、どちらの君主が人心を把握しているか。
将軍はどちらが優秀な人材であるか。
天の利・地の利はどちらの軍に有利か。
軍規はどちらがより厳格に守られているか。
軍隊はどちらが強力か。
兵卒の訓練は、どちらがよりなされているか。
信賞必罰はどちらがより明確に守られているか。
以上のような要素を戦前に比較し、十分な勝算が見込めるときに兵を起こすべきとする。